中壢シティヒストリー館 日本統治時代の三大日式宿舎で歴史を学ぶ#中平路故事館

1895年から1945年までの約50年間、日本統治時代のあった台湾。

台北の総統府司法院など、当時建てられた建造物が今でも多く残されています。

台湾の中枢を担う基幹的建築物だけではなく、当時台湾で生活する日本人の住居などとして建てられた木造の日本家屋が台湾各地に残されていて、台湾では“日式宿舎”と呼ばれています。

ここ中壢にもいくつかの日式宿舎があり、台鉄中壢駅周辺には3か所の主要日式宿舎が一般開放されています。

この三大日式宿舎を「中壢城市故事館群」=“中壢シティヒストリー館群”と呼び、それぞれ施設見学やカフェなどの店舗として活用されています。

前回ご紹介した「壢景町」に続き、今回は「中平路故事館」をご紹介します。

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中平路故事館」は、台鉄中壢駅からにぎやかな“中平商圏徒歩區(=中平商店街)”を歩くと突如として現れます。

1930年に建てられた住居で、戦後は台湾政府管理下のもと公務員宿舎として使われました。

敷地面積は30坪余りあり、二棟続きになっている住宅には、かつて山地課課長の一家と教育局の一家が前後して入居し、四世代60年にわたり暮らしていたそうです。

玄関と踏込の横にある格子の丸窓がシンボルマーク。欄間や、いぐさの香る畳も美しい。

両家ともに客家人だったそうで、日式宿舎で暮らしていた客家人の生活の様子を伺うことができます。

炊事場には、外へと繋がる勝手口も設けられている。

中へ入ると、手前と奥にそれぞれ居間と座敷が広がり、奥側の座敷には様々な当時の調度品が展示されています。

1920年代後半に誕生した卓上電話機。
日本人から寄贈された漆器の重箱。
当時としても貴重なアメリカ・シンガー社製の足踏みミシン。

また、玄関からデッキフロアを回って、勝手口の外を見ることもできます。

窓越しに設置されているのは、野菜を洗うのに使われていた専用の流しだそうです。

豚舎で飼われたブタまで再現されていました!

それぞれ表情の違う子豚たちが面白い!
母豚と乳を飲む子豚たちの姿も。

 

2007年に住民が転居した後、2010年に歴史建築に登録され、2013年から桃園市政府文化局により修繕作業が開始。約2年の修繕期間を経て、2015年5月より「中平路故事館」として公開されるようになりました。また、2021年には「文化資産類型環境教育施設場所」に認定され、歴史と文化を伝え続けています。

台鉄中壢駅周辺を訪れたら、是非こちらにも立ち寄って、日式宿舎で暮らした客家人の暮らしぶりに触れてみて下さい!

 

中平路故事館

中壢區復興路99號 10:00~17:00 月休み